Feeds:
Posts
Comments

Archive for November 3rd, 2008

(写真1)
参考までに山岳地域の寒冷地帯に駐屯する部隊に支給された耳あて付帽子を紹介します。この帽子は主に国境警備隊が着用していたため、通称「国境警備隊帽」(Mũ Biên phòng)と呼ばれています。写真1は通常使用されているタイプのもので、綿入り帽のような作りです。写真2はソ連からの援助生地で製作されたものです。こちらは内務省(現在は公安省)の徽章をつけています。国境警備隊は59年設立当初は内務省直属でしたが、79年に国防省に移管されました。その後、88年に内務省に戻り、そして、95年に再び国防省へ移管されて現在に至っています。
(写真2)

Read Full Post »

(写真1:当時の帽子)
抗米戦争が1960年ごろから始まり、北部から人民軍主力部隊がホー・チ・ミンルートを通じて大量に南部へ送出されると、派遣される部隊の帽子も気候や移動する環境に合わせて変化しました。それは「ムゥ・ターイ・ベーオ」と呼ばれる、つばが四方に広がった丸い帽子でした。当時のホー・チ・ミン・ルートはベトナム国土のちょうど中央部分に縦長に横たわるチュオンソン山脈の奥深くに細かく枝葉状に分岐して作られていました。同山脈は中部北方のタインホア省から始まり、中部クアンチ省、テイグエン地域一帯に広がっており、中には標高2000mの山も含まれています。その間を縫うように人と物資の移動が延々と続けられていましたが、ホー・チ・ミンルートは米軍の攻撃目標となるために後にはラオス側にもルート建設が進められます。人民軍は、そうした険しく高温多湿な山中を当初は徒歩で三ヶ月以上もかけて行軍していました。この布の帽子は、その間に雨水や枝葉から頭を防備する役目を果たしたとされています。
(写真2:現在仕様のもの。これはディエンビエンフー戦勝50周年時のプリントが入った土産品)
(写真3:サイゴン解放30周年記念式典で整列するハイフォン市退役軍人会の代表達)

Read Full Post »