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Archive for January 26th, 2009

 抗仏戦争、抗米戦争中から80年代後半(ドイモイが始まるのは86年末)まで、ベトナムではバオカップ(bao cấp)と呼ばれる国家補助金制度が敷かれていました。それは国民生活においては食糧や生活物資の配給という形で行われていました。現在のような市場経済制度が始まる以前のベトナムでは、すべての食糧・物資が不足しており、配給される物すらもその品質は粗悪で、国民生活は極めて困窮した状況に置かれていました。そのことは当然軍人の生活にも影響を及ぼすことになります。以下の写真の中で一番上のものは2007年にハノイの民族学博物館で開催された「バオカップ時代」の特別展示の様子です。80年代の典型的なハノイの家族の生活を表しています。当初は数ヶ月の展示予定が世論の反響が大きく、結局1年余り続きました。人々を精神的かつ物質的困窮に追いやった苦い思い出が、このバオカップ制度には詰まっていたといえます。

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  一番上の写真は民族学博物館の展示です。80年代当時には、ハノイなどの北部ではどの家にも見られたL字型タンス、応接セット、独特の部屋の仕切り窓、ソ連製冷蔵庫Xaratop(サラトップ)などが配置され、見事に再現されています。この部屋は集合住宅(ソ連製団地)を想定していますが、生活に苦しかった人々の中にはブタを数頭飼育することも珍しくはありませんでした。Trưng bày của Bảo tàng Dân tộc học vào năm 2007. Ban đầu bảo tàng chỉ có ý đinh tổ chức triển lãm về thời bao cấp kỏoảng 3 tháng nhưng khi thấy có rất nhiều người quan tâm nên họ kéo dài hơn 1 năm. Có lẽ những ai tã từng sống tại Hà nội thì sẽ được nhìn  thấy  nhiều nội thất quen thuộc như tủ hình chữ L, tủ lạnh Liên Xô, bộ sa-lông v.v…

  真ん中は、ハノイ市民の家にあった、家庭内に設置して有線放送を聴くためのソ連製スピーカーです。朝5時から夜10時ごろまで、ベトナムの声放送等から連日各種ニュースや政治宣伝、音楽、サッカー中継などが流れていました。ラジオのように電場を流す設備がまだなかったときのものです(つまみが紛失しています)。 Loa của Liên Xô sản xuất thời đó.

  一番下は、いわゆる弁当箱(Cặp lồng)と石けん(May社製)です。配給時代は外食などの嗜好は皆無でしたので、出勤時には必ずといってよいほどこの弁当箱に昼食分の食事を携帯しました。中はほとんどご飯で、その上に炒めた空芯菜などをのせるのが一般的でした。食事は集団でとることから、他の人と中身を同じにしてなるべく差異をなくすことにひたすら気を遣いました。時々、肉などを入れたいときはなるべくご飯の下に隠したそうです。また、石けんは当時のものでほのかに香が漂っています。Cặp lồng và bánh xà phòng thời đó.

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