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Archive for the ‘『ベトナム人民軍隊 知られざる素顔と軌跡』 暁印書館’ Category

   これらの写真は旧東欧社会主義諸国に派遣、留学されたベトナム人民軍士官たちの写真です。撮影時期は不明ですが、上の写真(ブルガリアか)はベトナム戦争後、下の写真(場所はハンガリー・ブダペスト)は戦中の砲兵学校のように思われます。

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 特に戦争が熾烈だった60年代から70年代にかけてソ連や東欧社会主義国へ留学できた人々とは、軍人や民間人を問わず、それなりの能力を持って選ばれた人たちでした。戦闘能力向上のために新たな兵器の使用に熟知した指導者の育成や、戦後の各分野のエキスパート養成などといった観点から、誰でも留学できたわけではなかったのです。ただし、一般的に地縁・血縁関係を重視するベトナムの社会関係において、全く見知らぬよそ者が限られた枠内に入れたかどうかはわかりません。いずれにしても、信用あるもの同士を凝集させて団結力を向上させたことは確かなようです。

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    ベトナムにとってソ連は社会主義国の長兄であり、主に抗米戦争を戦う上で軍事面で人材育成と物資供給軍事支援を行ってくれる貴重な存在でした(75年以降、ソ連崩壊までその関係は続きます)。ベトナム人の実感として、ソ連からの支援は重火器類を中心に行われ、中国は一般火器類や装備品、兵食など生活に密着した物資が中心でした。1955年から75年までにソ連が供給した軍事物資のうち、中国からの支援と異なる点は地対空ミサイルやロケット弾、中距離ミサイルが含まれていたことにもその傾向は見られます。また、無反動砲や砲牽引車両、戦闘機、戦艦も中国より多く供給されていました。他方、中国は歩兵銃の部類だとソ連の5倍近い提供をしていました。以下の写真は75年以降のベトナム戦争以後のものばかりですが、ソ越関係を示す資料写真としては珍しいものだと思います(中ソ等の対越援助のデータは暁印書館『ベトナム人民軍隊 知られざる素顔と軌跡』にデータを掲載してあります)。 

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 (↑↓)宇宙飛行士ファム・トゥアン=Phạm Tuân (中央の礼服姿)とソ連軍飛行士ボクトル・V・ゴルバコ。ファム・トゥアンは78年にソ連のガガーリン空軍学校に留学した後に宇宙飛行士に選ばれ、ベトナム人として初めて80年にソ連の宇宙飛行船(ソユーズ37号)に搭乗しました。地上に戻ってすぐにベトナムでホーチミン勲章を授与され(当時は中佐、30歳)、空軍政治担当副司令官に任命されて99年に中将に昇進しています(軍国防工業総局長を経て退官)。写真は80年の凱旋帰国のものと思われます。

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 (↑)ある士官の制帽。ソ連軍野戦用制帽の内側には使用者の氏名がVương Đình Huyと記されています。ソ連留学中に軍学校で使用したもので、ロシア語で名前(Huy)と所属部隊、そして戦車の図柄も描かれています。

tai-092(←)正面からみたソ連軍野戦用制帽 

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